【バイクヒストリア】世界的なバイクメーカー「Harley-Davidson(ハーレーダビッドソン)」の歴史

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世界中のライダーを虜にするハーレーダビッドソン。中古でも高額なものが多くなかなか手を出しにくいバイクかもしれませんが、そのブランド力と大量排気だからこそのサウンドと振動にあこがれを抱いている方も少なくはないはずです。今回はそんなハーレーダビッドソンの歴史にフォーカスを当てていきます。

ハーレーダビッドソンの始まりは1903年

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現在世界的なバイクメーカーとなっている「ハーレーダビッドソン」。その始まりは1901年にアーサー・ダビッドソン、ウォルター・ダビッドソン、ウィリアム・S・ハーレーが、当時アメリカで大流行していた自転車を利用したエンジン付き自転車の作成を始めたことがきっかけです。そして試行錯誤の末1903年に自転車のフレームにエンジンを抱え込ませた、第1号となるハーレーダビッドソンを作り上げました。この第1号はキャブレターにトマトの空き缶を利用するなど、手作り感あふれる1台となっています。

その後1907年にダビッドソン家の長男であるウィリアム・A・ダビッドソンが加わり会社を設立すると、工場の拡張が行われ1906年には50台程度だった年間生産台数が170台へ増加しました。ここからハーレーダビッドソンはモーターサイクルカンパニーとして大きく飛躍をはじめ、現在まで続く歴史が始まったのです。

2度の戦争を経験したハーレーダビッドソン

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第一次世界大戦

第一次世界大戦が始まった1914年。ハーレーダビッドソンは当時の主流となっていたサイドカーの製造・販売を開始し、さらにボードトラックレースへの関心を強めていきます。すると1916年にはカンザス州ダッジシティで行われた300マイルレースで、優勝をはじめとして7位までの内6台がハーレーダビッドソンのバイクとなりその名を全米にとどろかせます。

そして1917年アメリカが第一次世界大戦に参加すると、アメリカ軍はハーレーダビッドソンに戦争への協力としてバイクの提供を要求します。そして軍はこの戦争の間に15,000台以上のバイクをハーレーダビッドソンから購入しました。これは戦闘にオートバイが使用された最初の例となっています。

第二次世界大戦

1939年、第二次世界大戦が始まりアメリカが戦争の波にのまれると、「ナックルヘッド」や「フラットヘッド」と呼ばれるエンジンで着実に販売台数を伸ばしていたハーレーダビッドソンも軍用のバイク生産へと着手していくことになります。そして1942年アメリカ政府の要求にこたえて開発した軍用モデル「XA」を発表しました。

このXAはライバル社であったBMWの水平対向エンジンを模しており、荒れた地面でも走行ができるように大きなタイヤが特徴的なモデルとなっています。XAはハーレー唯一のシャフトドライブモデルとなっており、生産台数も1000台ほどで現存するものも少ないため、現在では非常に貴重な車両といえるでしょう。

世界恐慌を乗り越えたハーレーダビッドソン

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1930年、ハーレーダビッドソンの新型マシン「30VS」が登場。しかし新型バイクの導入数か月前に起こった世界恐慌が起こってしまいます。あらゆる市場へ不況の影響が波及していくと、ハーレーダビッドソンの売り上げは1929年の21,000台から1933年には3,703台へと落ち込み、ハーレーダビッドソンは生産台数を減らしていくことになりました。

しかし1931翌年には自動車ディーラーや修理工場のサービスマン向け3輪バイク「サービカー」の発売を開始、新たな市場の開拓に乗り出します。さらに1934年に向けてフラットヘッドエンジン搭載モデルや、アール・デコ調モデルを含む新たなラインナップを明らかにしました。

ちなみに、1935年ハーレーダビッドソンとライセンス契約を結んでいた日本の製薬会社「三共」が「三共内燃機」と社名を変更すると、ハーレーとのビジネス関係を断ち切り日本版ハーレーダビッドソンともいえるバイク「陸王」の生産を始めました。

114年続くハーレーダビッドソンの歴史!

現在では世界的モーターサイクルとなっているハーレーダビッドソンは、3人のエンジン付き自転車づくりから始まったものでした。ハーレーダビッドソンのバイクが好きという方も、その歴史を知れば少し見方も変わるのではないでしょうか!バイクを通してその歴史を感じてみては?