【バイクヒストリア】イギリス生まれのバイクメーカー「トライアンフ」の波乱に満ちた歴史
バイクで遊ぶ
世界に数多く存在するバイクメーカーの中でも、一際長い歴史を持っているのがイギリスのバイクメーカー「トライアンフ(Triumph)」です。しかし、現在でも世界中で愛されているトライアンフですが、その道のりは決して順風満帆というわけではありませんでした。そこで今回のバイクヒストリアでは、トライアンフの波乱に満ちた歴史について紹介していきます。
トライアンフの創業と隆盛
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1885年、ドイツ人のジークフリート・ベットマンがイギリスのロンドンで貿易会社「ジークフリート・ベットマン株式会社」を興したことが、トライアンフの歴史の始まりとされています。ちょうど自転車が人々に普及し始めた時代であったため、ジークフリートも「トライアンフ」という商標を登録し、自転車業界に進出。大きな成功を収めることになります。
しかしその成功に甘んじることなく、ジークフリート率いるトライアンフは発展途上だったバイク業界に参入。ここでも成功を収め、トライアンフはイギリスを代表するバイクメーカーへ成長を遂げていきます。
その後、経営者が交代しながらも変わらぬ成功を収め続けていくトライアンフ。中でも1960年代はまさに黄金期というべき時代でした。1961年、デイトナ200マイルレースという歴史ある大会で首位を獲得。翌年には当時のバイクでは最高速度となる360kmを記録するなど、世界最高峰のバイクという立ち位置を揺るぎないものにしていたのです。
しかしその成功に甘んじることなく、ジークフリート率いるトライアンフは発展途上だったバイク業界に参入。ここでも成功を収め、トライアンフはイギリスを代表するバイクメーカーへ成長を遂げていきます。
その後、経営者が交代しながらも変わらぬ成功を収め続けていくトライアンフ。中でも1960年代はまさに黄金期というべき時代でした。1961年、デイトナ200マイルレースという歴史ある大会で首位を獲得。翌年には当時のバイクでは最高速度となる360kmを記録するなど、世界最高峰のバイクという立ち位置を揺るぎないものにしていたのです。
トライアンフの落日
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トライアンフの転落は1968年、日本のバイクメーカー「ホンダ」に世界最速バイクの座を奪われた時から始まります。これをきっかけに、トライアンフだけでなくイギリスのバイクメーカーは次第に力を失っていき、1973年にはトライアンフの親会社であったBSAグループが破産。
トライアンフに盛り返すだけの競争力は残っておらず、世界を引っ張るバイクメーカーとしての座から転落していきます。その後、1975年にメリデンモデルの生産を開始するなど一時的に復活の動きは見られたものの、結局数年後には生産中断となり、資産や権利などはすべて協同組合に譲渡され、1983年には主要工場が閉鎖。トライアンフの歴史はここで途絶えたかに思えました。
トライアンフに盛り返すだけの競争力は残っておらず、世界を引っ張るバイクメーカーとしての座から転落していきます。その後、1975年にメリデンモデルの生産を開始するなど一時的に復活の動きは見られたものの、結局数年後には生産中断となり、資産や権利などはすべて協同組合に譲渡され、1983年には主要工場が閉鎖。トライアンフの歴史はここで途絶えたかに思えました。
トライアンフの復活
トライアンフに復活の兆しが見られたのは、イギリス東部の街ベドフォードに住むレス・ハリスという人物が、その時トライアンフの一切の権利を所持していたジョン・ブローアと交渉し、トライアンフ・ボンネビルの生産を再開した時からでした。
1990年、ブローアの手によって新たなトライアンフの工場がイギリスのヒンクリーに設立され、稼働開始。以降は再び規模を拡大し、日本をはじめとするさまざまな国に子会社を設置するなど、順調な経営を行い、かつての栄光を取り戻しつつあります。
1990年、ブローアの手によって新たなトライアンフの工場がイギリスのヒンクリーに設立され、稼働開始。以降は再び規模を拡大し、日本をはじめとするさまざまな国に子会社を設置するなど、順調な経営を行い、かつての栄光を取り戻しつつあります。
日本でも人気のトライアンフ
波乱万丈の歴史を経て、現在のトライアンフは常に最新かつ最善の技術を取り入れようとしており、そうした姿勢に共感してか日本でも高い人気を誇っています。さらなる成長を志す、トライアンフの今後は要チェックですね。