【バイクヒストリア】挫折から這い上がった高級バイクメーカー「ドゥカティ」
バイクで遊ぶ
「ドゥカティ」という名前を聞けば、バイク好きならすぐにイタリアの有名なバイクメーカーだと気づくはず。しかし、今でこそバイクメーカーとしてその名を世界中に轟かせているドゥカティですが、創業当初はバイクとはまったく無関係の会社でした。では、いったいどのような過程を得て、ドゥカティは現在のような高級バイクメーカーになったのでしょうか。
「ドゥカティ」の歴史は電機メーカーから始まった
今でこそドゥカティと聞けばバイクメーカーとして認識がされますが、1925年にドゥカティ兄弟がイタリアのボローニャに創業した会社は、ラジオや無線機などを取り扱う電機メーカーで、会社で初めて開発したのはコンデンサーでした。
このコンデンサーを始め、ドゥカティが扱う製品は総じて評判がよく、電機メーカーとしての地位を着実に固めていきます。現在はバイクメーカーとしてその品質の高さが大きく評価されているドゥカティですが、業種は違えど初めからその姿勢は変わっていなかったようです。
このコンデンサーを始め、ドゥカティが扱う製品は総じて評判がよく、電機メーカーとしての地位を着実に固めていきます。現在はバイクメーカーとしてその品質の高さが大きく評価されているドゥカティですが、業種は違えど初めからその姿勢は変わっていなかったようです。
戦争による挫折
創業以来、インターホンやフィルム映写機といった新製品を次々に発売するなど、順調な経営を続けていたドゥカティ。しかし、その歴史に大きな影を落とす出来事が発生します。それが第2次世界大戦です。
敗戦国となったイタリアでは、各地で戦争による被害を受け、ドゥカティも例外ではありませんでした。ドゥカティの工場は空襲により、多大な被害が発生。経済的に立て直すのは困難を極め、イタリア政府管轄の産業復興公社(IRI)の援助を受けることになりました。このとき、ドゥカティ兄弟は経営陣から去り、1つの時代が終わったのです。
敗戦国となったイタリアでは、各地で戦争による被害を受け、ドゥカティも例外ではありませんでした。ドゥカティの工場は空襲により、多大な被害が発生。経済的に立て直すのは困難を極め、イタリア政府管轄の産業復興公社(IRI)の援助を受けることになりました。このとき、ドゥカティ兄弟は経営陣から去り、1つの時代が終わったのです。
高級バイクメーカーとして復活
国が経営することになったドゥカティは、新事業の開始を模索。いくつかの案がある中で採用されたのが、自転車用エンジンの生産でした。バイクメーカーとしてのドゥカティは、このときに誕生したといえるでしょう。
バイクメーカーとしての地位を固める要因となったのが、ドゥカティにとって初の原動機付き自転車「クッチョロ」の発表です。他社の発表しているものに比べ燃費がよく、非常に高い人気を集めました。これをきっかけに、ドゥカティは自社でのバイク開発を次々行い、現在の高級メーカーにまで成長したのです。
バイクメーカーとしての地位を固める要因となったのが、ドゥカティにとって初の原動機付き自転車「クッチョロ」の発表です。他社の発表しているものに比べ燃費がよく、非常に高い人気を集めました。これをきっかけに、ドゥカティは自社でのバイク開発を次々行い、現在の高級メーカーにまで成長したのです。
現在も進化を続けるドゥカティ
ドゥカティは2012年にアウディに買収され、世界屈指の自動車グループであるフォルクスワーゲングループの一員となりました。これにより、4輪自動車の技術を取り入れることが可能となったため、今後さらなる進化が期待されています。